ジャンプ部屋ブログ

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いじめ問題の学校や家族、インターネット社会の影響や本人による部分とはどんなモノか?


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 先日書いたエントリ『社会やインターネットの影響を受けて子どもが子どもをいじめ殺すなら大人や社会にも責任はあると思うが…飛び越えている部分を感じる。』だが、この心境に至る考察をすっ飛ばして書いたから、これだけ読んだ人は、思考停止だと思われても仕方がないように今更、思えてきた。

 実際は、ここに至るまでの思考はあって、勿論、その先も考えているけど、それは、このエントリでは分からなかったことだ。自戒の意味を込めて、脳の個人差以外の、社会からの影響等々も考えてみようと思いました。

  1. テレビの影響
  2. インターネットの影響
  3. 学校の責任
  4. 家族の責任
  5. 本人の性格など

 この観点で考えます。

1.テレビの影響

 私は、テレビで放送されることは、それだけで「社会的な承認を得ている」と考えています。勿論、そんなことはなくて、疑いの心は持たないと思いますが、色んな人が見ている中で、「間違ったことはテレビでやらない」と無意識化に思っている人はいると思います。私も、子どもの頃もそうでした。

 そんな中で、最近は少なくなった気がしますが、「弱い者いじめ」とも、とれるようなバラエティ。水に落としたり、熱湯に落としたり、おでんを顔にぶつけたり、そのような内容が流れた時に、さらに、それを喜ぶ人々や、笑い声も流れた時に、「それを楽しむ」ことも含めて、「正しい」と判断する子どもが現れても仕方がないと思います。始めから、「面白いけど間違っている」と思う人は多いでしょう。

 私は、「ドリフは食べ物を粗末にするから見るな!」と言われて育った世代です。今は、どんな感じでしょうか。ただ、仮にテレビの影響で、食べ物で遊んだり、友達をいじめたりしたら、かなりの確率で怒られるでしょう。それがあるかは家族や学校、社会の責任であり、それを受けてどうするかは、本人の性格の部分だと思います。

2.インターネットの影響

 元々のエントリに書くに至ったのは、ネットの影響を考察されたエントリを読んだからでした。

 このエントリに関して、「そうかな?」と思ったから、件のエントリを書いた訳ですが、勿論、インターネットの影響はない訳じゃあでしょう。どんなインターネットをするかによりますが、匿名で罵りあったり、コメントで喧嘩したり(私も一員)、または、炎上なども影響が全くないとは思えないです。いじめ加害者を炎上させていることすらも、抑止力とは逆の力が生まれているかも知れません。その部分を肯定するエントリも書いているのですが、「加害者いじめ」という「弱い者いじめ」が行われている、とも思えました。

 抑止力に関しては、炎上してる「いじめ」と、自分がやっている「いじめ」は、分けて考えてしまえば、全く働かないですね。よく考えれば。確率的に「いじめている相手が自殺する」のは、低いでしょうし、その辺りの打算がきけば、「いじめ」なんてしないでしょうし、もっと、巧妙にやるでしょう。


 後、インターネットの雰囲気とは、別ですが、画像や映像の記録、発信が出来る携帯電話、スマートフォンは、いじめに武器を与えていると思います。

3.学校の責任

 脳の個人差の方を主題に考えてしまうと、注意・指導をしても言うことを聞かない異常者…という風に考えてしまうかも知れません。が、それを前提にするまでもなく、報道を見る限りでは、指導が十分であったとは、思えないです。見て見ぬふりと、隠ぺいの連続だったように思えます。

 ただ、「先生」や「教育者」というだけで、彼らに期待するには、本人達の能力が追いつかなくなっているのかも知れません。だが、現状では、本人の性格はどうあれ、最終的に「殺人」に至る「いじめ」を止められなかったのは、学校の責任だと思います。もしも、加害者達が、他の都道府県の学校に通っていたら起きなかった…かも知れません。

4.家族の責任

 勿論、家族の責任はあると思います。どのように育てたか…の部分などで。躾ですね。勿論、本人達が、学校でやっていることを親に言わない…というのは、あるでしょう。もしくは、親の考え方の部分があります。私の中学時代を思い出すと、勉強も、スポーツも出来るのに、焼いた真鍮の欠片を服の中に入れてくるような人は…PTAでの様子を聞くと…。

「いじめられる方にも問題がある!」

 という考えの持ち主だったみたいです。その考えは、全否定できないかも知れません。一番最初の部分には、「原因」があるでしょう。それが、顔立ちや、能力だったりして、そして、強者が弱者を、多数が少数(一人)…と流れていく中で、私は、「いじめられる方にも問題がある!」と言う考えに問題があると思っています。一応、全否定はしません。でも、その延長に「殺人」が起きた時に、親の思想の責任は出てくると思います。

 また、それ以前に、そもそも無関心であったり、全く怒らなかったり、逆に性格が歪むくらいに怒ったり…家族や親の影響はあると思います。学校と同じくらい、休日などを含めたら、一番過ごすのは、家庭でしょうから。


 家族と学校の外に、「社会」があると思いますが、ちょっと壮大なので、割愛します。ただ、テレビとインターネットに、そのニュアンスは含まれていると思います。

5.本人の性格など

 これは、私が色んな人と接してきた中で感じたことですが、例えば、自分が傷つかない人は、相手を傷付けることに鈍感だったりすると思います。自分の痛みなしに、相手を思いやる人もいるでしょうし、もしくは、自分が傷つくけど、相手も傷付ける人もいると思います。

 また、これも個人の感想ですが、体格的に恵まれていたり、能力が優れていることを、暴力や「いじめ」の背景、土台とする人もいるでしょう。中学の時に、私の首に熱した真鍮を落とした彼は、まさに、そんな感じでした。勿論、全てがそうじゃないですが、そういう人もいると思います。

 また、親が金持ちだったり、社会的な権力を有していたら、それを「いじめ」の力にする人もいると思います。勿論、全てがそうじゃないです。でも、親の力は、家族の部分でもありますが、親の力が本人のシールドとなって、怒られる機会が減るかも知れません。

 ただ、前向きにとらえたら「自信」繋がる部分を、悪い方向の力に変えてしまうのは、本人の性格と、もしくは、それを形成した家族、学校、社会の影響なのかも知れません。

以上のようなことを踏まえて

 という風に考えて、もしくは、このように考察できる思考的な部分を背景として、このエントリでは5点の観点から考えても、「裸にして射精を強要」、「雀の市街を口に入れる」、「自殺の練習を強要」する…というのが、社会の影響等々での理解では、追いつかなくて、本人の特性、器質的には「脳」の個人差。例えば、社会全体の倫理・道徳に反する、背徳的な行為で、脳が活性化するような(脳科学が疑いの多い分野だとしても)「犯罪脳」と4年前にテレビで知った、脳の構造、個人差があると考えた方が、「起きた現象」が理解できる…ということでした。

 起きたことは、全て社会の影響かも知れませんが、本当に「私も参加している社会」の影響だけで、その結果に辿り着くのか?というのが、理解できなかったのです。起きたことを「起きたこと」と認識する以上に、少なくとも「自分が納得できる理由が欲しかった」ということでした。改めて、自分の考えをまとめてみると、絶望的に、そこに至る過程が少なかったように思えます。

 勿論、この思考的背景を説明しても、件のエントリで挙げられた「脳の遺伝的特性」、もしくは「犯罪脳」を科学的根拠なしに「あると認める」ことで、引き起こされる、根拠のない「遺伝的要因による差別」に繋がる…という部分は、説明できてないと思います。

 一応、その部分も書いておくと、「犯罪脳」という過激な言葉が問題があると思うのですが、脳の構造の個人差というのは、全員が等しく持っている部分で、身体測定のように脳の構造を調べる訳にはいきませんが、自分や他者を理解する上で「脳にも個人差がある」と認めることは、必要じゃなくても、悪いことじゃない、と思います。例えば、「あの人は生まれつき短気だ」という発言は、脳のことも指しているかも知れません。

 もしも、社会的な要因等々で、いじめ問題を考えた時に、その部分で行き詰ったら、脳の方にも観点を持ってみれば良いのでは?と思います。全てが、最初のエントリを書いた時に、思っていた訳じゃあないですが、少なくとも、今は、そう思っています。


 最後に。まだ、「脳」という言葉が「脳科学」を連想させて、うさん臭いようにも思えるので、もしも、そう感じられたら、「脳」を「心」と置き換えて見て下さい。勿論、「心」の全てが脳に支配されている訳じゃあないと思いますが、このエントリに関しては、ほぼ同じ意味で考えても良いかも知れません。

 生まれてきた時に持っている「心」、「心の在り方」が、科学的に証明できなくても(されているかも知れませんが)、個人差があることに、疑いを持つ人はいないと思いますので。

 そんなことを考えました。よしなに。