ジャンプ部屋ブログ

1994年頃から捨ててないジャンプで何かをしたいです。

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安全性対策が不十分な原発を再稼動させることの違和感。


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これは昨日書いていたこと。

同じことをテーマにはてなーの人が書かれていたので、読みました。そして、気になったとところ(理解できたところ)を引用。


電力足りる足りるは知恵が足りぬ - ryoko174の混沌日記

「電力が足りるように十分なバッファをもって計画すること」と「結果的に電力が足りたこと」は全くの別問題であり、後者は前者の不備を正当化し得ない。結果的に原発事故が起きなければ、安全性対策を疎かにしてよいわけではないことと同じ。


心のモヤモヤは、この辺りにあったのかも知れないな。

結局のところ、電力は必要、だけど、ブラックアウトが怖い、原発を再稼動するしかない…という状況に追い込んで、その実は、資本的な問題が大きかったり。

結局、再稼動したし、次は、「高浜原発(だっけ?)を稼動したい。」とか、関西電力の社長が言い出すレベル…。結局、大停電と、日本海を揺るがす大地震が、もう一度起きる…というのは、結局、前者の方が可能性が大きい訳だけど…その辺りを、東日本大震災で学んだのじゃないだろうか。

今、原発を動かすということは、この夏に、大地震が起きた時に、同じことを繰り返す、ことだと思う。そして、停止と稼動とリスクが同じ…というのも、そうなのだろうけど、結局、「利用する」ということは、ずるずると、また、原発依存の方に流れて行くように思える。

話がずれるけど、核を保有するのと、使用するのでは意味が違うけど、保有しない方が良いと思う。

もう私が起きている間に、原発が大変なことになる大地震は起きないのかも知れないのだけど、起きる・起きないと、可能性がある、ないとでは、全然、違うと思った。

今、国会の近くで行われているデモも、そういう思いが含まれているのかも知れない。停止と稼動のリスクは同じ、原発再稼動に賛成、やむなしの立ち場の人々の考えや、意志は否定できないけど。もしも、近いうちに、日本海で大地震が起きて、京都とか滋賀とかが放射能まみれになったら…せめて、謝ってくれるのかな、とそんな風に思えた。

思えば京都には御所とかがあるけど、まぁ、それは、別に良いか。そんなことを考えた。