以下の記事を読みました。
極端に言えば、例えばいじめが起きたクラスの担任教師は給与を下げる。いじめにいたるまでには芽の段階があるのだから、事前に芽を摘み取っておくべきで、それができなかったのは教師の能力が足りなかったか、やる気が足りなかったかだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/6858941/
ワタミ会長の渡邉美樹氏の考えです。
ふーむ。これだと、余計に隠蔽の方に向かうのじゃないだろうか。そして、発覚する頃には、大変なことになっている…ということが、今、起きているのじゃないだろうか。
同時に学校の中で起きている「いじめ」を見つけ出す仕組みもあれば良いと思うけど、でも、それでも、給料や能力で、教師にだけ責任を押し付けるのもどうかと思う。
多分、その前提は、「教師がしっかりしていれば『いじめ』は起きない」という、ある意味、性善説のような考えがあるように思える。そうじゃあなくて、どんな状況でも、子どもの中では「いじめ」が発生し、そして、それを隠そうとするのじゃないだろうか?
インターネットやテレビで刺激的な情報が氾濫している中で、社会からの影響などは、全部、学校、教師で背負えるのだろうか?
多分、基本的に隠れて行われるのが「いじめ」だと思うのだけど、教師の能力を給与評価に反映させるなら、『発見』と『解決』で昇給に結びつける方が、効果があるのじゃないだろうか?
インターネットに掲載されているから、多くの人が読むと思うのだけど、「なるほど!」と思う人もいるのだろうか。まぁ、HTBCは、大体、私の予想通りで安心したけど。
しかし、冒頭に引用したニュースをタイプした人は、どんな気持ちだったのかな。