再び、この話題。
結局のところ、コメント欄にコメントを残すというのは、ブロガーに影響を与える、ということだと思う。納得がいくまで、気持ちが治まるまで、徹底的に考える。
思えば、ブログで言えば、2005年頃からやっていて、その頃、匿名の人物と、激しく罵りあうというのはなかった。早稲田大学学内から、自殺を示唆するコメントがついて、右往左往したことはあったけど(何もできなかった)。
表ブログで言えば、やっかいな、投げ捨てるようなコメントがついた時は、コメントのやりとりが、ジャンプ感想を観に来てくれている人も読むかもしれないから、ひどいコメント合戦になりそうな予感がしたら、速攻で削除している。世間様ってヤツだろうか。
でも、はてなダイアリでそれをやらなかったのは、定期的に読みに来てくれている人は、表に比べれば少ない、ということと、テンプレートが黒いのも、心理的な影響もあったかも知れない。
差て。結局のところ、匿名の人物、この場合は、浜松の中学生かもしれない人物と対峙した時に、相手がアカウントを持っていない、というのがやっかいだ。
例えば、はてなIDがあるならば、相手がダイアリをやっているかどうかとか、その内容から、背景を推察できる。IDがなくても、例えば、オフラインで交流がある場合は、同じだと思う。結局のところ、インターネットでやるコメントは、IDとか、オフラインの繋がりがあれば、「会った時に話せる内容になる。」。
だけど、相手が匿名の場合、こっちは、IDがあろうが、なかろうが、自分と同じ匿名。もしくは、会う可能性のない人になる。そこが、最大限の攻撃力と防御力になる。例えば、発端のエントリに関連して書いた記事の中で、以下のような赤裸々な部分もあった。
思えば、私は、中学時代に、私だけにではないですが、クラスでスポーツも、勉強も得意な人から、技術家庭で使った真鍮の金属片をストーブで熱したモノを襟から首に落とされたことがありました。今思うと、それで喜んでいた彼は、今、どうなっているかは分からないですが、かなりヤバイ状態だったのかも知れません。
いじめ問題を議論する時は、自分がいじめられたことがあるか、ないか、いじめる側だったか、傍観側だったのか、その辺りの経験と立場は、明かして話すべきだと思うけど、思えば、終始一貫して、浜松の中学生は、自分のことは語らなかった。匿名なのだから、語る必要がないのだろう。
そう考えると、いじめの話をしているのじゃあなくて、遺伝的要素により、脳の個人差が生まれる、犯罪者に共通の構造がある、という辺りが、琴線に触れたのであれば、もしかしたら、いじめじゃあなくて、「遺伝」とか「差別」の方に、より立場が近いのかも知れない。だったら、悪いことしたかも知れないし、今もしているのかも知れないけど、何せ、匿名で、自分のことを語らないのだから、想像しようもない。
多分、コメントのやりとりや、実際の会話でも、相手の背景とか凄い重要なのだと思う。例えば、「いじめっ子は全員死ねばいい」という言葉、コメントに対して、実際にいじめにあった人か、逆に、いじめていた人なのかの、経験や立場、背景を知っていれば、その言葉に含まれるモノは、想像し、補間されると思う。私が、中学時代のことを書いたのは、その意味もあって、自分は、経験的に、無関心じゃないことを表すつもりだったのだが、匿名の人は、「お前の話はしらねーよ」と思うかも知れないし、そもそも、私も匿名だと思われたら、ウソを書いていると思われるかも知れない。
最終的に、私が、ムカつきがマックスになって、シャットダウンする寸前のコメントを振り返ってみると…。
私は(たまたまですが)彼(彼女?)を対立意見の代表者として選んで斬りかかったわけだが、これではどこまでいっても私の独り相撲にしかならない。繰り返しになるが、これは私のミスです。
とあるので、私が男か、女かも伝わってない。件のエントリ以外を読めば、私の性別は分かりそうなモノだ。「私」というのは、女性だけが使う訳じゃないけど。そして、yarykimedesuと「ナカノ実験室」が同一ということも、最後まで知らなかったのじゃないかな。そういう意味では、携帯とかで読んでいる可能性がある。
話はそれたけど、匿名の攻撃力と、守備力のことを考えたら、本質的な攻撃力、説得力は、低いように思えた。私は、相手の背景とか関係なしに情報の正しさだけを選び取れる人間じゃない。どんなに過激と取れる論調でも、背景が見えたら、考慮はする。IDがあれば、その先を読んで、人柄を確認する。
だから、匿名で、一方的な決めつけと、煽り口調で、そのブログへの一発目のコメントを書くような人は、2ちゃんねるでインターネットを覚えた人、もしくは、インターネット利用が浅い、若い人、中学生とか、高校生なのだな、と思うくらいか。使ってくる語彙は、結構、難しい感じだったけど、私に伝わってないのは、何かのアンチテーゼ、もしくは、ゲシュタルト崩壊、あわせて、トートロジーみたいなモノだろうか。
結局のところ、匿名の攻撃力とは、説得力のともなわない、火をばら撒くようなモノかも知れない。いや、匿名であっても、背景を語ってくれたら、もうちょっと、優しい気持ちで接することが出来たのかも知れない。
ことが、脳の構造、遺伝、いじめ、等々だから、相手の立場が分からないだけで、ひどいことをしたのは私で、今もひどいことをしているのかも知れない。件の中学生かも知れない人に戦果があるとするならば、私のインターネットライフにおいて、忘れられない体験をさせたくらいだろうか。誰か知らんけど、私の人生に、そこそこの影響を与えた。
終ります。
結局のところ、全ての匿名を否定する訳じゃあないけど、「自分語り」をしない、意見と情報、煽りだけをバラまいてくる、匿名の人には、こっちは自分語りは必要ないだろう。その価値を感じてくれない。だから、思えば、思っていてできなかった。「ひどいインターネットスキルですね。私とあいそうにないので、二度とコメントしないでくださいね。。。」みたいなのを一発目に放り込んだら良かったのだろう。そして、後、基本は、熱くなった時には、コメントしないで、24時間経過させる…とかかな。基本中の基本だったけど。
ただ、この辺りを突き詰めると、匿名の存在で、「嘘の背景」「自分語り」を備えたら、完璧な攻撃力を持った匿名の存在になれると思う。ちゃんと、作法が整っていれば、IDのあるなしでは、一番最初の段階では、判断してない訳だから。
でもまぁ、そんな丁寧な嘘が、煽りとかに比べて楽しいのか?と言えば、また、別の問題のように思えるかも知れない。後、まぁ、まだ、気持ちが沈静化してないけど、仮に、名古屋とか、浜松に小旅行をした時に、中学生かも知れない彼か彼女に会う可能性を考えたら、匿名であっても、携帯かパソコンの前には人がいる…というのは、インターネットの先輩として、考慮するべきだったのかも知れない。まぁ、実際は、中学生じゃなくて、1978年生まれとかだったら、人性的に先輩で、勝手に年下扱いして、大変な失礼をしている訳だけど、何せ、匿名だから、分からない。
以上、下ネタでした。