以下のエントリを読みました。
「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 催涙レシピ
正直、最初の印象は、「この世を地獄」として、とらえすぎじゃない?安息の地はどこかにあるのじゃない?と思った。だが。
それは、さかなクンのコラムを読んでいて、その次に、冒頭のエントリを読んだから。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
朝日新聞デジタル:いじめられている君へ - 教育
勿論、これは、一緒にいれる友達。もしくは、話し合えるコミュニケーション。それらが保てる範囲の場合なのかも知れない。でも、こういう「海」は、どこかにあるだろう。
海じゃなくても、安息の場所という意味で。だけど、今日読んだ他のニュースも思い出した。
大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)がいじめを苦に自殺したとされる問題で、自殺の前日、男子生徒が住むマンションの自室が加害者とされる同級生らに荒らされたと、同学年の生徒が市教委が実施した全校アンケートに回答していたことがわかった。
男子生徒は「明日、死にます」などのメールを同級生らに送ったとの回答もあり、滋賀県警は、自室での出来事が自殺にまで追い込んだ可能性もあるとみて確認を急いでいる。
男子生徒は昨年10月11日朝にマンションから飛び降りて自殺した。前日の状況については、市教委が実施し、県警が今月に任意提出を受けた全校アンケートに複数の記述があった。
同学年の生徒は「(加害者とされる同級生らに)亡くなる前の日も部屋をめちゃめちゃにされた」と、伝聞情報としながら記名で回答した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120713-OYT1T00820.htm
・・・家とか、特に自分の部屋って、理解のある親なら、協力してくれる。絶対的な不可侵の領域で。最低限の安息の場所だと思った。
正直、加害者の彼らは、本能でやっているとしたら、人殺しのプロだと思った。
勿論、滋賀県大津市の事件は、稀有な例かも知れないけど、この場合は、平均して「海」があるじゃあなくて、一番、差し迫った。もう、命が奪われたところに、「海」がなかったら、意味がないのだと思った。
そう考えると…どこにも全く、さかなクンが言う「海」が存在しないのじゃないか?と思えた。この場合は、蹂躙するモノが存在しつづける…。とも思えるけど。