大阪市の橋下徹市長の文楽批判が止まらない。27日には「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」、前日には人気作「曾根崎心中」を批判するなど、わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。文楽には、人形遣い個人の魅力を楽しむため江戸時代から顔をみせるようになった歴史がある。観客動員の努力不足などを指摘する橋下市長の発言に一定の理解を示す文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n1.htm
どう思ったかを発言するのは悪いことじゃないと思うけど、勉強不足…というのは…。
私も、文楽に関する知識は全くないのですけど、だからこそ、「そういうモノ」として観るのだと思います。彼は、「人が見えている」部分を批評していたみたいですが、続くニュースの中では…。
人形遣いの桐竹勘十郎さん(59)は「文楽は、人形を遣う3人、そして人形という、全部の影かたちで一つの役。そこが他の人形劇とは異なるところ。根幹の部分でわかってもらえていない」と困惑する。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm
このような部分も。勿論、私も知りませんでしたし、でも、納得が行く部分。勿論、そういうのを、全部飛び越えて、感想を言っても良いと思いますが、「柔道着が地味」とか、「剣道の竹刀が軽そう」とか、なんか、そういう陳腐さがあるように思えます。
多分、形式とか、様式の部分も含めて、「伝統芸能」だと思うのですが…。なんというか、市長というポジションでの発言としては、軽率のように思えますけど。
「面白い・面白くない」だけで語れるモノは、日本には沢山あるので、その辺りの芸能とは、分けて考えないとダメなんじゃないかな。
彼の一存、じゃないけど、大阪市民も含めて、伝統が消えていったら、その時、どう思うだろうか。