大学院生と研究者は違うかも知れないけど、入り口は近いかも知れない。以下の記事を読んで、自分が、大学院生だったことを思い出した。
研究者にとって必要なモノが、大学院生(前期)にも必要だと考えるならば、きっと、そんなのが足りてなかった。
思えば、私は、卒業論文で(農学なのに)プログラミング的なことをやって、大学院に行ったのは、モラトリアム延長でしかなかったのだけど、結果、4年も行った。画像解析的みたいなモノをプログラミング的にしたい…と、面接で言ったけど、それがくじかれて、次は、自然環境GIS(だったかな?)と林班図の整合性…とかを放棄して、最終的には、衛生画像解析(eCognition?
)みたいなソフトに関して、修士論文を書いて、卒業した。
4年間勉強したこと(してないけど)は、その後に、全く生きてない。そもそも、大学4回生の時に、卒論テーマとして最初に考えたのは、今後、森林の興味関心を高めるには?とか、もしくは、現状の社会の意識レベルだった。今だったら、参加型のイベントを企画して、ブログとか、フェイスブックで公開とか、インターネットや携帯も当時より整備されているから、面白いことができるかも知れない。
後、最終的に行き着いた上空からの森林画像解析とかは、結局、「森林の蓄積量を求めてどうするの?」という思いがあった。京都議定書とか、地球温暖化と二酸化炭素の関連性とかボヤっとしてきている気がするし、それに関連して、排出源取引とかも、ボヤっとしてきそうだし。
今、森林や林業を考えた時に、木材や、徳用林産、雇用、国土保全、水源管理などなどを含めて、国の必要な仕事として、携わることで幸せになれるようにしていくことだと思う。お金の面とか。詳しい現状は知らないけど。
というようなことを考えても、それに、人生を賭けようとまでは、思えないから、私は、研究者にも、そもそも、大学院生にも、あまり、向いてなかったのだろうな。うん。