ジャンプ部屋ブログ

1994年頃から捨ててないジャンプで何かをしたいです。

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犯罪脳やゲーム脳を根拠なしに信じることのリスク。


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 先日の小火騒ぎの周辺エントリで、どうしても分からなかったことの一つ。ちょっと、引用としては長いけど、端折ると、恣意性が強くなるので、関する部分は、全部引用。

たとえば、「犯罪脳」に似た言葉で「ゲーム脳」がある。根拠が薄いというか、よくわかってない脳を持ち出すせいで、よくわからない。でも、「納得」しやすい。昔はゲームなんかなかったし、ゲームの中でバンバン人を殺すし、エロゲーなんて鬼畜や凌辱なんてジャンルがあったりするし、運動にならないし、なにより中毒性がある。だから、何だかわからないけど「納得」できる。次はゲームを規制したり、自分の子供からゲームを取り上げるだろうし、それはゲームという楽しみがなくなることだけじゃなくて、ゲームを拠り所に出来た人から居場所を繋がるだろうし、ゲームをやってるからアイツはダメだみたいなことにもなってくるだろう。
そんなアホなみたいなことを、やっぱり信じてしまう人が多い。
ゲームだから、これくらいだけど、犯罪者になると、その影響は半端ない。だから、「犯罪脳」とか言う言葉を使って、何かしらの根拠なしに「納得した」と書かれると、もやもやした気持ちになってしまうだろうなと思う。
小火を眺める - 裏飯

 正直なところ、この部分が、どうしても分からなかったのだけど、ちょっと身近なモノに置き換えたら、理解できた。理解できた気がした。

 そもそもの私のスタイルとして、ちょっと、矛盾をはらんでいるかも知れないけど、色々なモノを「あるもの」と考える、ようにしているように思えました。「科学的な根拠がなくても『在る物』と理解した方が、解釈が広がる」という感じです。だから、いじめ殺人に関しては、私の理解の超えたいじめ内容は、「犯罪脳」と呼ばれる脳、もしくは、脳の個人差があると考えた方が、理解が広がったのです。そこには、脳の構造によって、人を選別したりとか、遺伝的性質によって、差別するような意図を含めてなかったのですが、そのことを書かなかったのが、不味かったのかも知れません。多分の中では、一般常識になり過ぎていた感じがします。

 で、その流れで、ゲーム脳に関しても、引用したブログで、コメントを交えました。その間に、ウィキペディアを読んだりして、確かに、根拠のある物として、人に広めるには、危なっかしいな、と思いました。しかしながら、私は、長時間ゲームをする中で、なんらかの影響が、脳にあるだろう、とは思っております。勿論、それが、悪い影響だけじゃあなくて、例えば、ストーリーの面白さや、ゲームシステムの面白さ、音楽、演出、人が夢中になる仕組み、それらに学ぶべきところは沢山あると思います。

 しかしながら、私のゲームの苦い思い出を掘り返してみると、公務員試験前に、所属したクラブの部室に、いりびたって、食事をするのも面倒だから、コーヒー用の砂糖と水で栄養を補給しながら、ジュエルビーストを撃破する・・・などという体験があります。勿論これは、壮大な現実逃避行動の選択肢として、ゲームを選んだだけであって、ゲームそのものが悪いじゃあなくて、確実に、私の問題だと思います。

 しかし、ゲームにはまる人、はまらない人、色々いる中で、ゲーム自体に悪いことはなく、受け取る側の個人差、と考えてしまうのは、ちょっと考えが、狭まるように思えるのです。例えば、ゲーム脳じゃなくて、「パチンコ脳」という風言葉を出してきたら、多分、同様の分析でも、支持をする人は増えるのじゃないかな?と思います。私は、ゲームも、パチンコも好きですが、ゲームは好きだけど、社会的な要因込みで、パチンコを死ぬほど嫌っている人は多いと思います。それは、否定をしません。

 パチンコは、画面上で繰り広げられる演出。一回大当たり引けば4000円相当の出玉があるギャンブル性(機種によって違います)、玉の動き、ホール内の大音量による高揚と、冷静な判断力の低下、などが、脳に影響をして、はまるのだと思います。そして、パチンコをしている間は、攻撃性が高まり、期待させる演出の結果、外れを引いた時に、台のガラスを叩く老人を何回も見かけました。パチンコは、人の攻撃性を高めるのです。

 というようなことをゲーム脳に置き換えて、論じることもできるように思えます。私は、パチンコをする人間なので、脳波とかは計測してませんが、上記のパチンコ脳に関しては、実体験込みの説得力があると思います。


 ゲーム脳とかを考えた時に、根拠が不明な科学的研究で、好きなジャンルを否定される、怒りが常にあるように思えます。私は、パチンコから、今は距離をとっているので、「パチンカス」とか、そんなコメントをみても、そんなに、心が乱れないですが、パチンコをやりまくっていた時は、ムカついていたと思います。

 差て。色々と、巡りましたけど、根拠不明な「ゲーム脳」を「在る物」ととらえて、ブログに発信する。私は、ワザワザ、実在の相手まで意見をするほど…というか、オフラインでは極力、人とは距離を取るようにしていますから、ワザワザ、そんな話題を持ちかけることは、少ないのですが…だからか、「パチンコ脳が在るとすれば…」として書いたブログ記事に関して、それがもたらす影響…というのは、よく分かりませんでした。多分、書いてあることを鵜呑みにしない人もいないだろう、と思っている部分もありますが…。

 ここで、ちょっと、ジャンプ感想のことを考えてみました。私は、ジャンプやマンガの感想を書く時に、安易に、「つまんねー漫画」とか、「クソ漫画」のような表現は使わないようにしています。それは、僅かだけど、マンガ原稿を描いてみて、夜寝る頃には腕が火照ってくるとか、そういう体験をしたこともありますが、ジャンプ感想を続けていく中で、感想スタイルを変えていったのは、「どの作品に対しても、私よりも好きな人が絶対にいて、安易に罵倒をしたら、感想を読んで傷付く人が出る」という考えに到って、ディスる事は簡単だけど、「良いところを探す方が大事で意味がある」に到って、「世の中にあるマンガはマンガであるだけで素晴らしく、面白い・面白くないは半分以上は読者(私)の内面の問題だ」という考えに到りました。

 つまりは、そういうことかな、と思いました。私は、「ゲーム脳」という研究自体には、Wikiを読んだ限りで、「疑わしい」と思いましたが、ゲームが脳に全くの無影響下?と言われたら、そうじゃないと思います。良い影響、悪い影響込みで、本人の性質、現状とあわせてあると思います。

 しかし、それも、仮にジャンプ感想的に考えるのであれば、私よりも、ゲームな好きな人がいる。もしくは、ジャンプの感想で「面白くない」というだけの感想にしないのは、「面白くない」の積み重ねは、対象にとって、良くないことが起きると思ったからです。だから、同時に「面白い部分」も絶対に書くようにしています。

 では、「面白くない」ことの積み重ねが良くないなら、「納得」の積み重ねも、よくないことが起きるのでは…と思いました。そもそも、私が、「納得した」というのは、個人的にそう思ったことの、かなり、狭い範囲のイメージだったのですが、その辺りも、人それぞれなのかも知れない。「信じる」よりも、発信性が低いと思ってたのですが…。

 まだ、何かが足りなくて、勘違いもしているかも知れないのだけど、昨日、ブチ切れて、コメントをくれた中学生かも知れない人を、シャットダウンする前に、少なくとも、心境のレベルで、今の状態になれていれば…と思いました。

 以上、下ネタじゃありませんでした。